育休でわかった。「たまに遊ぶ」じゃパパにはなれない

生活

育休前:子どもと遊ぶ=“イベント感覚”

平日は仕事、休日は「たまに一緒に遊ぶ」。
これが僕の「父親像」でした。

・週末は公園でボール遊び
・夜は少し絵本を読んであげる
・たまにお風呂を一緒に入る

「これで十分“いいパパ”なんじゃない?」と思ってました。


育休中:生活が「子どもと一緒」になる

でも育休が始まると、いきなり生活の全方位が子ども仕様に変化。

・朝、寝ぐせ頭で「パパ〜おしっこ〜」に叩き起こされ
・昼は赤ちゃんと格闘しながら長女の宿題を見て
・夜は謎テンションの長男に「ねえパパ、寝ないで!」と説教される

気づけば、子どもと一緒に笑って、泣いて、イライラして、癒されて。
そう、これは「共に生きる」レベル。


子どもと“感情を共有”して、やっとパパになる

育休って、ただの「手伝い期間」じゃないんですよね。
子どもと一緒に生活する中で、感情のグラデーションまで一緒に経験する。

・笑った顔だけじゃなく、
・泣いてる顔も、
・怒ってる顔も、
・寝顔も(←いちばん癒される)

これらを全部見るようになって、ようやく気づきました。

ああ、これが“父親になる”ってことか、と。


「パパになれた」のは、育休のおかげ

育休を取っていなかったら、
「パパらしさ」ってずっと“外注”のままだったかもしれません。

・子どものことはママに任せる
・自分は外で仕事していればいい
・たまに遊んでればOK

……じゃなかった。

一緒に生活して、感情を共有して、時にぶつかって、許し合って――
そうやって育児を“体感”してこそ、パパになるんだと思います。


おわりに:「父になる」という時間を取ってよかった

育休の期間は、たしかに大変です。

・おむつ替えに失敗して全身が被弾したり
・ごはん作ったのに「これじゃない」と言われて落ち込んだり
・寝かしつけで自分が先に寝落ちしたり

でも、それ以上に「父親としての自分」が確かに育っていく時間でした。

この経験があるから、これからもっと子どもとの関係が深まっていく気がする。


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